05.18.01:28
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10.03.22:24
邂逅の砌~03
長々と形容した後のシチュエーションには、語るべき言葉はあまり用いる必要もあるまい?わかりきっている真実。
そう、『最悪』だった。
よくよく、あまり重要でない状況において、この言葉を多用する方々があまり見も多いせいで、これが本来もちえる深遠な意味がついつい忘れられがちである。この言葉は本来、『最も悪いもの』を対象にして用いる。しかしながら、この言葉の乱用により、言葉のデフレは深刻化し、この相対的な深みが薄らぐことも考慮しつつもあえて、言わせて頂く。『最悪』だ。
この国では、基本的に高校生相当年齢の諸君であれば、9割以上の諸君が平日の午前中は教室で各自のデスクに座り、勉学に勤しむのが慣例である。いささかイレギュラーな事態が起ころうと、それの進度にもよるが、大方修正可能であり、一定の強制力を行使すればある程度の秩序は回復される。そうして、平和な日常を諸君は過ごすことになるはずだ。
ただし、それはほんの一部の例外を除けばの話なのである。
ここには、その『秩序』が存在しない。その秩序を回復させるための機構も存在しなければ機関も存在しないし、そもそも、その秩序を回復するだけのさせるだけの強制力なんてものはどこにも存在しない。
法は、強制力が伴って、初めて法たる根拠を得る。とすれば、この空間はまさに無法地帯であり、人類が知恵を絞って構築されてきた有史以来の『法治』たる高尚な概念は、その根源から抹消されている。
事実として、そのような現象が観測される。
観察は、自然科学であれ社会科学であれ、洞察の規範である。
したがって、おれは今観測者に徹している。観測において、私情をはさむ余地はない。ただ、起こりえている事実のみを記述しているだけである。
そう、これは間違いなく事実である。すなわち、この現象は真実を内包しているのであって、これを否定するための証明は、これを肯定するためのそれよりも、多くの労力を要することは、希望的観測をするまでもなく、明らかである。
おれは目撃している。
人たるものが音を立てて『崩れ落ちて』行く瞬間を。
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