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  • 05/18/13:20

07.16.16:30

H12小論文

字数制限1200

H12小論文

(著者は2000年の設定)

 

 二酸化炭素は我々の社会活動に伴って排出されるのは言うまでもない。しかしながら、これは主観的にみるとなかなかそうであると認知するのは難しい面があるかもしれない。なぜならば、我々は二酸化炭素そのものが視覚的に見えないし、またその量を直観的に知覚できないからである。ゆえに、我々は日常的に『生活すること』が二酸化炭素排出を伴うことを頭では理解できていても、体で感じることができない以上、その“認識”は薄いのかもしれない。その最たる現場が“市場”そのものであり、必然的に経済活動を行うことによって二酸化炭素は必ず排出されるが、その市場での認識もまた、我々個人同様薄いものではなかろうかと感じる。

 97年および98年のCO2排出量が減少した原因についてだが、私は97年に起こったアジア通貨危機がその一因にあると思われる。その詳細の説明については割愛するが、これが原因でアジア一帯の経済成長は一時期滞った。我が国も例外ではなく、輸出産業を中心に生産が縮小し、当時の内閣は辞任にまで追い込まれたほどである。バブル崩壊以降、内需の回復傾向も手伝って徐々に景気は回復に向かい、それに比例する形でCO2排出量も単調に増加していった。経済活動とCO2排出の相関がこの事実からも読み取れる。そして、この相関によって見事に表現されたのが、アジア経済危機に端を発する我が国のGDP減少曲線である。すなわち、GDP=経済規模が縮小したからこそ、CO2排出量も減少したと解釈でき、これが9798年のCO2排出量減少の原因であると思われる。

 これらの解釈を踏まえた上で、『2010年をはさむ5年間の温室効果ガス排出量の平均値を90年度比6%削減する』という京都議定書の定める義務を果たせるか否かについての私見を述べる。

 結論から述べると、手放しの対策であれば、まず無理であろう。

その理由はまず、我が国のエネルギー効率は世界一であり、これは『まるで渇いたぞうきんを絞るようなもの』と比喩されるように、現状のシステムの高効率化のみを図るだけでは達成できないものと思われる。次に、CO2排出量を減少させながら経済発展を遂げた国はこれまで存在しない。前述したように両者の相関関係は明白である。ゆえに、現状の経済システムでは血のにじむような努力をしない限りCO2排出量の削減には着手できないと思われる。そして、最大の原因が、冒頭で述べたように一般の人々がその事実を正しく認識できていないことにある。間違っても、CO2排出削減は機械が行うものではなく、人間の“意思”が行うものである。すなわちこれは、意思を喚起させる正しい“認識”のもとに、我が国を挙げて取り組まなければならない問題である。

 ゆえに私は、CO2排出量削減は『第二の産業革命』そのものであると痛感する。250年前に作られた現状の体制から速やかに弾力的な体制に移行し、ここ日本からその革命を起こしていかなければならないものと確信する。

1192字)

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