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05.18.18:39

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  • 05/18/18:39

07.20.22:12

Epsode01~1

はじめから分かり切っていたことだった。
おれは昔から家族とかいうのが嫌いだった。
血がつながっていようとも、そうでなかろうとも、ただ偶然同じところに引き合わされて、住まわされて、互いのことろくに知ろうとはしない癖にズカズカと人の領域に踏み込んでくる厚かましい連中――
それが嫌いだった。ガキの頃から。
いいことなんて一つもなかった。
思い出したくもねーよ。
ただ同じ怠惰な時間が平等に与えられて、無駄なじゃれあいの中にその時間を紛らわしていく。
とてつもなく苦痛だった。
終わりのない回転ジャングルジムの中でぐるぐるかき回されて、気がついたら誰もいなかった。
そんな世界だった。おれも。この世界も。
まさに、今もそうだ。
しょせん、その延長の中に今のおれもいる。
いつまでこの延長戦を続けるんだかね?クウォンツ共め・・・・・・・。



・・・・・・・・「ねえ、聞いてるの?」

あん?

優華だった。
うるせえな。なんだっていいだろ?

誤解のないように言っておく。こいつは一つ上の義姉優華。
ぐるぐる回されていたら、いつの間にか一緒に住むことになっていた。
おれは家族というものが生まれつき嫌いだった。
しょせん、その付き合いもお互いの利害関係によって簡単に変化する。
そう、親にとって子はどのような付加価値がつくのか分からない金融商品のようなものだった。
おれの場合、それが何より顕著だった。
しかも、爆弾付きの。
はっ?なんだってんだ。
えらい迷惑だった。なにより、おれの存在自体。

何もかも消えてしまえ。

その呪いは俺にとっての呪縛であり、また、そうあることが、おれにとっての唯一の安らぎでもあった。


こいつで3人目だった。義姉に当たるのは。
 

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07.20.21:53

H15論述

H15小論文

(著者は2003年の設定)

仮に、以下の講演を依頼されたとして、800字以内の講演要旨を作成せよ。

(主張)

 地球規模のエネルギーおよび環境問題を克服するために、我が国においては自転車の高性能化と普及に全力を挙げるべきである。

 

 人々が移動する手段は、その距離や形態において自動車や飛行機、鉄道や船などいくつかに分類される。国内で考えた場合、その輸送量およびエネルギー消費量の大部分は自動車によって占めているのが現状である。また、その移動区間はおおよそ限定されており、何百キロも離れた場所を日常往復しているわけではない。従って、日常の生活範囲であれば、その移動手段を自動車に代わって自転車で賄うことは十分に可能であると考える。

 当然ながら、自転車そのもののスペックも大幅に向上させるべきである。電動アシストは当然のこと、2輪車だけでなく、安全性に配慮した3輪車や、座席を増設したものなど、多種多様な車種を開発するべきである。また、自転車が主要交通手段になることに対応して車体にハザードランプ等の搭載の義務付けや、走行用の専用車道を設けるなどの社会インフラの整備も不可欠である。

 この自転車政策は、環境面に配慮し、エネルギー消費量を激減させるだけでなく、渋滞や事故等の交通問題を低減し、自転車産業そのものや、それに伴うインフラ整備の必要性から、多種業界に渡って新たな雇用を創出するものと見込められている。

 当然ながら問題点もある。一つは自転車の安全性である。これは技術面でのカバーはもとより、ユーザーに対しても原付講習のように講習を義務付け、交通法規に則った運転を行うように指導していく必要性がある。二つ目は、他の交通業界に与える影響である。当然ながら、自転車が安価なバイクと同様な製品になっていくので、バスや電車等への影響は避けられないものと思われる。しかしながら、これは公共性・環境性等総合的に鑑みた場合、整合性のある競争と考えられるので、それは各業界が柔軟に対処していくべきであると考える。

 ともあれ、我が国は環境先進国を目指して、高性能な自転車の開発及び普及に向けて国を挙げて取り組んでいくべきである。

07.19.00:03

邂逅の砌~02

これは何もビジュアルの話をしているわけではない。スピリチュアルな話なのだ。
そう、ものすごく重要な。人として持つべきスピリチュアルな、そう、何というか、まっすぐな言葉で、その、そう、侵してはならないモラルがあるのだよ、ワトソン君!!!
なんなんだよ、ここは!!!!!!!!


・・・・・・・もともと、おれはこんなつもりじゃなかった。まさか、こんなところだとは思ってもみなかったんだよ。普通に考えてみろ??偏差値だけでいえば県内でも指折りのはずだ!!パンフではなんだ???高校と違って大学並みの設備の中で?あ?高度な教育が受けられますだ?あ?なめてんのか??
ただ、まあ、冷静に考えてもみろ。プロパガンダなんてものは世の常、たいてい民衆を扇動させるだけのただの道具だ。それ以下でも、それ以上でもない。むしろ、そこに羅列されている文句ほど、意味を成さないものはない。おれとしたことが・・・・・。
でもまあ、16にもなって制服着てママのおべんと持って登校なんて、そんなスタイルはごめんだったのは確かだ。もとより、あの町を早く出たかった。田舎のやつらと同じ高校に行くのも、なぜか嫌だった。そして、おれは、おれの実力一本で伸し上がり、誰にも文句言わせねー世界で俺の生き方を貫く。それが俺のポリシーだ。その点じゃ、おれの初期条件はクリアしているはずだ。高校いって受験勉強ってのだけは絶対に嫌だった。何より、文科省の馬鹿どもはノーマライゼーションしか思考パターンがねーのかよ。おれが大臣やったほうが尤もな方法でゆとりの弊害を被った哀れな後輩君たちを救うことができるぜ。あ?霞が関のみなさんよ??毎日のお仕事ご苦労さんなこって。中央の方々が俺らみたいな切り捨てられた土地に生きていた奴の気持ちがわかるかい??おれの田舎はもってあと2,30年だぜ。三位一体の改革とは語呂がいいよね。なにも考えてねー浮遊票を丸ごとかっさらっていくのには何とも都合がいいぜ。確かに、国が生き残りためには、犠牲が必要だよな。必要最小限の。被害を最小限に留めるために。
たぶん、おれもその被害者の一人なんだろうよ。行くところなんてなかったんだよ!!!
消去法だったんだよ、ここは!!最もリスクが少なく、その後の功利が最大限に生かせるところはT高校かここしかな!!
おれには高校生は無理だった。だからここにした。無駄なことはせずに、一直線に。おれはだれも辿りつついたことのない世界に生きたい。誰にも邪魔させない。
田舎の意地なのかな。
いつしか、そんなことしか考えられなくなった。
おそらく、そう、あの事件からだ。

9.11

なんてきれいなんだろう・・・。

率直に、そう感じてしまっていた。なんだ、この感覚は??
まだ若かった俺には、テロに対する恐れや恐怖などではなく、一瞬自分自身の中に宿った何かに惹かれてしまった。
人間にはこれまで認識したことにないものに遭遇したとき、それと類似している過去の経験を想起するという。
その過去の映像、そう、前にも見たことがあった気がした。
おれは確かにそれを経験していたはずだ。
今から十年前のそう、なんだったけな、あの夜何かが起こった気がしたんだが・・・、だめだ、思い出せん。

ともあれ、あれから世界が変わった。おれの世界も一変した。
こんな世界なんて、いっそ壊れてしまえばいいのに!!
ガキの頃から、ことあるたびにそんなことを願っていた。

あれから5年の歳月を経て、それは実現した。
今思えば、それは喜びの感情に最も近いものだったのかもしれない。

この退屈な世界が変わる!!それが衝撃だった。もっと衝撃的だったのは、たかがあれだけの事件で、世界が揺れたことだった。まだ世界市場の分析能力が備わっていなかった当時の俺でも、その様ははっきりと見て取れた。年取った奴らがあたふたとわめきちらし、どのメディアも神妙な顔しておんなじこと放映している!!
その様がなんとも滑稽だった。そして、確信した。
世界は変わる。いとも簡単に。それも、あっけないほどに。

セカイノ終わり なんて、ほんと簡単なことなのかもしれない。

そう感じられることが、自分の存在を肯定しているように感じれた。
世界は変えることができる!!
それが俺にとっての 希望 となった。



・・・・・・・それから3年余り。

世界はそれほど、ドラマチックな変貌を遂げてくれなかった。
それは、おれの周りの世界でも全く同じだった。

なんということか。畜生め。


おれは、目下の 地獄 に突入する覚悟をついに決め、その奈落に足を踏み入れてしまった。


07.18.18:30

H14論述

 H14小論文

(著者は2002年の設定)

(題:骨子)人為的な介入が生態環境に及ぼす負の影響を鑑み、環境と調和した地球作りをするためには、今後我々人類はどうすべきか。論ぜよ(800字程度)。

 

 生態系とは、非常に複雑なバランスの上に成り立っており、故にその構造上、一部に不具合や欠陥が生じると、食物連鎖の作用によりその地域の生態系が損なわれてしまう、といった事実は周知のものである。その不具合を生じさせている最たる元凶は我々人類そのものである、という事実もまた揺るぎない真実である。率直に言うと、我々が快適な生活を望めば望むほど、そこで太古の昔から生を営んできた者たち――それは昆虫であれ、鳥であれ、植生であれ――はその地位を、豊かに繁栄する権利を我々に不当に奪われてきた――。それが、我々が有史以来生態系に与えてきた負の業であろう。

 

 しかしながら、これは弱きものは強きものに食われる、といった自然界が定める弱肉強食の掟そのものであり、何も自然の摂理に逆らうものではないものかもしれない。だが、そのように解釈し、我々が思うがままに振舞おうとしてきたその集大成が、現在世界中で顕著な形で表れてきている。そう、我々が生態系を蹂躙することは、結果的に我々自身の行く末を閉ざすことに他ならない。例えば、ある生態系のバランスが崩れ、ミツバチの数が激減したとする。それはすなわち、その地域の食物の受粉率が4割減少し、換言すると食料生産量が4割減少することを意味する。勘違いしてはならない。我々は決して雲上人ではなく、あくまで自然界の中で生を営んでいる、食物連鎖の頂点に君臨する、ただ一つの生物種であるということを。

 我々の責務はただ一つ。それは、生態系に極力負荷をかけない社会システムを綿密なシミュレーションに基づき設計し、それを構築し、そして半永久的にそれを運営していくことにあると思う。世界はここ100年余りで驚くほど小さくなり、科学技術は飛躍的に発展し、生態系のメカニズムもかなりの精度で解明されつつあるが、残念ながらそれのすべての関連性を明示するのは困難を極めるという。従って我々は、壊滅的な生態系崩壊を起こさぬよう、世界規模で循環型社会を構築していかなければならないのである。

816字)

07.17.15:40

H13

H13小論文

(著者は2001年の設定)

(題:骨子)地球温暖化防止の観点から、電力市場自由化の是非を論ぜよ(800字以内)。

 

まず、諸発電方法におけるCO2排出量ついて概説する。CO2排出量が最も多いのは、火力発電である。これは原料により差異はあるものの、一般的な原子力発電と比較しておおよそ30~50倍のCO2を排出する。水力および原子力はほぼ同等の排出量であり、風力や太陽光などの新エネルギーはこれの約2倍程度である。よって、地球温暖化防止の観点からは、火力発電の割合を減らしていかなければならない。

次に、発電方法ごとの電力料金について述べる。一番高いのは、太陽光や風力の新エネルギーであり、一番安いのは原子力発電である。電力価格の国際比較を考えれば、我が国が高いのは事実であるが、それは電力安定供給に支払っているコストと解釈できる。もし、自由化となった場合、発電コストの安い原子力に投資を行うべきであるが、新規参入する会社にとっては原子力のような大規模なコストのかかる初期投資は望めない。そうなると、火力、もしくは設備容量の小さい風力や太陽光が新規参入会社のターゲットとなってくると思われる。しかしながら、前述したようにこれらの単位発電量当たりのコストは高く、加えて送電線などは他社のものを借用しなければならないのが現状である。したがって、単に自由化を図るだけでは電力価格の低減には早期に結びつかないものと思われる。また、コスト競争に主眼を置いてしまうと、電力業界最大の責務である安定供給性を損なうことになりかねない。

これらの前提を踏まえて、私は電力市場の自由化は行うべきであると主張する。地球温暖化防止の制約のもとでは、当然それの原因たる発電方法を改善ないし新エネルギー等で代替していかなければならない。そのための投資を積極的に引き出すためには、自由化による競争が最も効率が良い。またそのためには参入各社が単にコスト競争にのみに走らず、業界全体でCO2削減のプロパガンダを掲げつつ、共闘していく体制作りもまた求められるものと思われる。

796字)

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