05.18.10:04
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08.03.11:30
H14論述SS
H14小論文SS
(著者は2002年の設定)
(論点)近年環境保護の名のもとに、遠隔地の昆虫を飼育し、身近な環境に放出することが英雄的に報じられているが、一方では、これらが生態系に及ぼす負の影響が危惧されている。
このような状況を鑑みて、環境と調和した地球作りをするためには、今後我々人類はどうするべきか。論ぜよ(800字以内)。
我々は、科学技術を用いた文明生活の発展により、自然界の頂点に君臨する種となったが、自然界を調律する神ではない。我々にできることはせいぜい、科学的に検証された事象に則り、それを履修する形で自然を修復することである。従って、十分な検証なしで、各人が環境保護の名のもとに思うがままの行動を取っては、それが善意であるにもかかわらず、壊滅的な打撃を自然界に与えかねないというリスクを我々は認識していなければならないのである。
自然界は大変複雑なメカニズムによって成り立っている。これを構成する要素は多岐におよび、プランクトンから大気循環までの広大なスケールである。特に、昆虫などは食物連鎖の基幹を成すものであり、これが一度崩れてしまうと、その上位に位置する獣類や鳥類などの食性が変化し、悪ければ絶滅の危機に瀕してしまう。そして、結果的にその地域の固有の生態系の崩壊を招く。一度壊れた生態系は、その機能を取り戻すまで、多くの期間を要するが、悪ければ二度と戻らないものもある。
我々は有史以来、自然環境から食物や資源などの多くのもの摂取し続けてきた。その過程で我々は多くの生態系を破壊し自然を食いつぶしてきた。そしていまや、それらの集積した脅威が地球規模で我々に襲いかかろうとしている。
我が国は、古来より『和』を重んじる文化が数多く存在していた。我々が学ぶべきはここにあると思う。自然を征服するのではなく、それと調和する。すなわち、我々が摂取した分を、自然界に還元させるシステムを構築するべきなのである。また、我々が人為的に生み出した化学物質などは、我々人間界のみで循環させ、決して自然界に放出しない確固たる枠組みが必要である。当然、温室効果ガスもそれの最たる対象である。
我々が成すべきことは、自然環境の調和を乱す元凶を世界が一致して指摘し、それを最小限に抑える枠組み作りと弛みない努力であると信ずる。
08.01.17:30
H13論述SS
H13小論文SS
(著者は2001年の設定)
(題:骨子)地球温暖化防止の観点から、電力市場自由化の是非を論ぜよ(800字以内)。
電力は、出力調整の制御や変換効率が高く、一般的に扱いやすいエネルギーとして認識されている。地球温暖化の原因とされる温室効果ガスは、言うまでもなく火力(石油・石炭・天然ガス)発電から最も多く排出される。
電力自由化は、自由競争により火力発電などの温暖化に寄与する発電法に対してその高効率化や、あるいは再生可能エネルギーを利用した代替発電法にリプレイスされていくインセンティブが高まることが期待される。もちろん、電力価格も競争により低下することも見込まれる。しかしながら、この両者は必ずしも健全に進行していくとは限らないと思われる。価格競争で生き残るならば、より安価な発電方法が推奨される。それは、初期投資、運用費用ともに鑑みた場合、現状はやはり火力発電がコストの面で最も優れており、現に最近では石炭火力や天然ガス火力発電では、コジェネレーションシステムを併用して熱効率は60%台に達している。初期投資が高く、費用回収が十分に見込めない再生可能エネルギーや、大出力は得られるが初期投資や運用リスクが高い原子力発電よりは、火力発電が電力会社によって勝ち残る手段として重宝されてしまうかもしれない。
従って、電力自由化に踏み切る際は、様々な角度からその影響を予想し、温室効果ガス排出抑制と電力価格がどのレベルであればイーブンになるかをしっかりと見積もる必要性があろう。また、当然ながら、電力供給の安定性・信頼性を欠いてはならない。
以上のことから電力自由化に踏み切る際は、まず各電力会社が有する各種発電法に対し、温室効果排出ガスの割合に応じて、料金にその偏差を上乗せさせる。次に、再生可能エネルギーなどを運用する零細電力会社に対しては、当該地域の主力電力会社との共同運用を行う、そして各社に対し温室ガス排出抑制度に応じた新たな格付けシステムを適用するようにすれば、競争による暴走を抑制することが可能となると思われる。
(800字)
07.31.23:59
H12論述SS
H12小論文SS
(著者は1999年の設定)
(論点)97、98年度の我が国のCO2排出量は前年比0.4%減少した。97年、98年のCO2排出量の減少を説明する理由を挙げた上で、「2008年から2012年の間で温室効果ガス排出量の平均値を90年度比で6%削減する」という京都議定書の削減目標を達成できるか否かについて私見を述べよ(1200字)。
97、98年度のCO2排出量減少に転じた理由は、アジア通貨危機に代表される不況により、国内総生産がマイナスに転じたことが原因として考えられる。言うまでもなく、CO2排出量は経済活動の規模に比例する。諸先進国がそうであるように、我が国も例外ではない。
二度にわたるオイルショックを経験した我が国は、それを契機に製油依存型の産業構造を抜本的に変革し、天然ガスおよび原子力エネルギー等を積極的に導入しつつ、エネルギー効率化を図ってきた。そして、今や我が国はそれにおいて他国を圧倒するエネルギー効率優良国となった。しかしながら、そんなわが国であっても、CO2排出量が減少ないし平行線を辿ったわけではなかった。産業部門では、確かにエネルギー高効率化の実績により、エネルギー消費量を抑えつつ、生産規模を拡大することができた。すなわち、この部門においてはCO2排出量が平衡ないし減少に転じる実績を示している。しかしながら、国の経済規模は産業のみでなく、それに係る一連の流通、消費も当然含まれる。生産量が拡大したら、当然ながら、流通・消費の市場も拡大する。これらは、産業のように、エネルギー機器の高効率化を改善することによって対処することは困難である。なぜならば、これらはオートメーション化による生産量の拡大ではなく、人間の意志による経済活動の活発化の結果だからである。人間の意志は操作不能であり、それを目論むならば、それはまさにファシズムと言えよう。
アジア通貨危機は、アジア諸国に様々な打撃を与え、消費者の財布のひもは固くなった。当然ながら、それに伴う投資・生産は縮小に転じた。その結果、実質経済成長が負に転じた代わりに、CO2排出量が減少するという功を奏することができたわけではある。しかしながら、この事実は地球温暖化の観点からは歓迎されるものであっても、一般的な資本主義原理からしてみれば喜ばしくないものである。
我々はここで、経済活動と地球温暖化防止という、背反するジレンマに直面せざるを得なくなってしまったのである。では、我々は京都議定書の削減目標達成は無理なのであろうか?
結論から言うと、現状の体制であれば不可能であろう。その数値目標を達成するということは事実上、GDPを6%減少させることと同意だからである。少なくとも、工業立国であり、加工貿易で成り立っている我が国がその目標を達成させるとなると、国力の後退は免れない。しかしながら、我々はCO2排出量削減が経済活動のネックになるという先入観に囚われ過ぎていやしないだろうか?経済活動はそもそもイノベーションなくしては成り立たない。ならば、科学技術立国である我が国は、CO2排出量削減義務はネックではなくむしろ、次世代のイノベーションを促進するための布石を云えるのではなかろうか?従って、大切なことはこの課題をいかにして我々の成長につなげることができるかという我々自身の発想の転換である。
07.30.23:19
H21論述part2
京都 H21小論文part2
(著者は2008年の設定)
(論点)都議会は2008年6月、原油換算で年間1500kl以上のエネルギーを消費する大規模事務所にCO2排出削減を義務づけた。また、「ディーゼル車NO作戦」は都の大気汚染を大きく改善した。環境技術の進化は経済を活性化する原動力になる。こうした認識は経済界にも広がっている。
世界では、ロンドン、ニューヨークなどの世界的な都市は次々と意欲的な気候変動対策を始めている。問題の深刻さを考えれば、もはや国際交渉の進展を待っている場合ではない。自治体や企業、個人それぞれが動き出すべきである。
これらの主張について、1200字以内で論評せよ。
世界は危機に瀕している。それもこれまでとは全く異なる、気候変動という未だかつて経験したことのない、この地球に生きるものすべてに共通して襲い来る危機である。
我々はこの危機に対して、世界が一致してその元凶たるCO2を削減することで対策を立てなければならないという共通の認識にようやく到達できた。その点では、大変画期的であり、評価すべき成果と言えるであろう。しかしながら、いくら目標を高々と掲げても、それを実現するための取り組みを具体的に始めていかなければ意味がないのである。実際、この行動を行うのは政府ではなく、我々市民であることを我々ははっきりと認識しなければならない。すなわち、この危機を食い止め、回避できるか否かは我々の取り組みにかかっているということである。
都議会が可決した先の「ディーゼル車NO作戦」は、都の大気汚染を改善しただけでなく、CO2削減が経済に悪影響を与えるという誤った偏見を見事に払拭した。私は、この条例の果たした役割は前者の成果よりもむしろ、後者によるものが圧倒的に大きいと思う。日本政府をはじめ、各国がCO2削減目標制定について消極的だった理由は、数値目標を設定することによって自国経済に何らかの悪影響が出るという懸念があったからだ。だが、この条例により、この疑念が払拭されたばかりか、環境技術は技術革新の原動力になるという証拠まで提示した。CO2削減は経済活動を抑制するという考え方は、これまでの産業界を牛耳ってきた保守派のプロパガンダに過ぎない。技術革新とは逆境にあってこそ実現し、経済はそれを求めるうねりがなければ成り立たない。ならば、CO2削減は、そのような新たな市場を形作るための布石と云えるであろう。
大規模事務所にCO2排出削減を義務づける条例も、評価すべきものである。これは空調機器の大規模な技術革新の競争の場を与えるものとなる。また、空調設備だけではなく、事務所で使用するあらゆる製品、例えばコンピューターであり、照明などのあらゆる製品の省エネ性能が格段と向上する契機となるであろう。
世界は絶えず変動している。我々はすぐさま行動を開始しなければならない。これまでは、政府が方針を決定し、市民がそれに従ってきた。しかし、昨今の急激な変化には、国という大きな組織はもはや対応しきれていない面が多々見受けられる。それならば次は我々市民の手から行動を開始していくべきであろう。それには様々な方法がある。
まずは、自治体による取り組みである。自治体はその地域で何が問題で、どのような対策を講じるべきかを判断し、決定する能力を有する。地方分権を早急に推進するべきなのである。次に大きな役割を担うのは企業である。技術革新が企業の生き残る手段ならば、それに積極的な投資を行うべきである。そして、何より我々個人の意識と行動がこれらの前提とならなければならない。
我々は、世界の未来を選択する世代なのである。
(1199時)
07.29.23:14
H21論述
H21小論文
(論点)食料の安定供給・確保の点から食料自給率が話題に上がるが、自身が考える日本の食糧輸入に関わる問題点を挙げ、それを解決するための方策について考えるところを1200字以内で述べよ。
日本の食料自給率は40%と諸先進国に比べてかなり低い。これは主要先進国の中で最低の水準である。また、日本は年間約6000万トンもの食料を輸入しているが、その量はアメリカをも上回割る。加えて、それらの平均輸送距離はおよそ16000万kmでこれまた世界最長である。EU諸国やアメリカはこの距離がせいぜい3000~6000kmであるのに比較したら断然大きいことがわかる。これらのデータからわかる日本の食糧輸入に関わる問題点は、輸入量が多すぎるということと、遠隔地からの輸入に依存しすぎているということである。
このことを別な観点から指摘すると、自分たちの畑では何も作らず、人の土地から高いお金を支払い、大量のCO2を排出して食料を調達しているという事実が浮き彫りとなる。
日本は戦後、食料自給率は1960年代の70%をピークに、その後低下の一途を辿っている。その原因は多々考えられるが、最大の原因は、日本人の食生活が大きく変化したことが挙げられるであろう。高度経済成長に比例するかのような形で外食産業が台頭し、主食が米からパンへと移行し、肉類や脂肪類が大量に消費されるようになった。それまで、日本は主食であった米や野菜の自給率は100%近くを推移してきたものの、小麦類や肉類は耕地面積および畜産規模の関係上、輸入に依存せざるを得なくなっていった。加えて1980年代のアメリカの圧力に屈し、オレンジや肉類の輸入自由化に踏み切ったことなどもあり、日本の一次産業界は大きな被害を受け、一次産業従事者はみるみる減少し、今や就業人口は300万人を割り込み、しかもその半数が65歳以上の高齢者である。これは単に食料自給率の低下を招いているだけでなく、地方の過疎化に一層の拍車をかけ、自治体の運営を大変厳しくしている原因でもある。よって、今日の自給率の脆弱化を招いた原因は、我々自身の食生活にあると言える。
日本は世界有数の経済大国となり、飽食の時代と言われて久しい。我々は今や、飢えの概念すらなく、24時間いつでもどこでも食料を手にいれ、大量のエネルギーが注入され、大量のCO2が排出された食糧製品を日々摂取している。
我々は今一度、日々口にしている食品のルーツについて考え、それについてどうあるべきかを議論する段階に入っていると思う。世界の富を総人口わずか1割に満たない先進諸国が独占してきた経緯がある。食料も同じことが言えよう。
具体的な方策を述べる。まず、第一に農畜水産業の活性化を促進すべきである。放棄耕地を再開発し、米および野菜等の自給率を100%以上の水準に引き上げる。これにより、大規模な雇用を確保する。次に国民運動として、地産地消プロジェクトを促進することである。すでに一部地域では実施されているが、これはフードマイレージが小さく、食に対しての国民的理解が深まる。そして、食糧戦略に係る外交努力である。
日本が世界に対して提言する食の在り方は今後の世界にとって重要な価値をもたらすと思われる。
(1198字)