05.18.06:55
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08.04.14:46
H16論述SS
H16小論文SS
(著者は2004年の設定)
(論点)日本のエネルギー安定供給性を高めるための方策として、以下の二つの方策があるとする。
①化石燃料や原子力エネルギーなど従来型エネルギーの利用効率向上のための技術開発の促進
②再生可能エネルギーの利用技術開発の促進
方策①を優先させる立場として、その論旨を述べよ(800字以内)。
日本のエネルギー自給率はわずか4%と他先進国に比べて著しく低い。原子力を準国産エネルギーとして勘定してもせいぜい20%である。
日本のエネルギー効率は世界最高水準である。しかしながら、その設備利用率は決して高いものではない。特に原子力に至っては、稼働率は60%~70%台である。従って、これらの利用効率を向上させるだけで、日本のエネルギー供給も大幅に改善されることが見込まれる。これは、再生可能エネルギーのように、1からの開発ではなく、現在のシステムの見直しや、発電機や炉の技術的改良を行うだけでよく、予算的にも期間的にも多く依存しない。
国内では、大量のエネルギーが消費される。そのおよそ半分は電気エネルギーであり、そのうちの9割を化石燃料および原子力エネルギーが賄っている。再生可能エネルギーは運転に際して化石資源に依存せず、温室効果ガスや放射性廃棄物等を排出しないので確かにクリーンなエネルギー源だが、何しろそのポテンシャルが非常に小さい。水力は約9%程度の電力供給能力はあるが、その他の風力・地熱・太陽光等は合わせて1%にも満たない。これで国内のすべてのエネルギー需要を賄うレベルにまで供給能力を増大させるには、莫大な投資が必要であろう。
しかしながら、前述したような従来型エネルギーはその設備容量も大きく、それに伴うインフラも十分に整備されている。また、化石資源の輸入途絶といったアクシデントが生じない限り、その安定供給性は保証されている。しかしながら、再生可能エネルギーは、天候などの外的要因により、その供給能力に対する不安定要素が付きまとう。すなわち、安定供給性に対するリスクが増大し、それを補うための補助システムにも大量の投資が必要となろう。
再生可能エネルギーはこれからのパイオニアとなる可能性を秘めているが、安定供給性においては従来型の比ではない。よって、従来型の技術開発を促進するべきである。
(800字)
08.03.19:42
H15論述SS
H15小論文SS
(著者は2003年の設定)
(論点)下記の主張を肯定する立場から講演することを頼まれているとして、600~800字の講演要旨を作成せよ。
(主張)地球規模のエネルギーおよび環境問題を克服するために、我が国においては自転車の高性能化と普及に全力を注ぐべきである。
エネルギー問題および環境問題を考えるときは、そのエネルギーの消費量も当然だが、その効率についても、加えて、そのエネルギーを使用した結果排出される副産物が環境に与える影響を考慮しなければならない。これらは限りあるエネルギーを有効に使用し、かつその過程で環境に負の影響を与える物質の排出を抑えなければならないという、現代でいえば至極当たり前の倫理観に則っている。しかし、この両者の問題に頭を悩ませずに、かつ、私たちにとっても健康を増進させるという素晴らしきコミューターが普及したら、素晴らしいとは思わないだろうか?
それこそが、自転車である。その潜在能力はバイクよりも身軽に、車よりも経済的に我々を満足させてくれる。燃料や各種税金、車検代など大幅に維持費が軽減でき、なにより駐車スペースにも困らない。我々は、この身近にある素晴らしきコミューターに再び注目すべきではないだろうか。
しかしながら、改善するべき点はいくつか存在する。まず、動力である。いくらクリーンとはいえ人力には限界があるので、電動アシスト等の補助動力を搭載し、走行性の向上を図らなければならない。また、荷物搭載能力が乏しいので、サイドカー等の車種も開発する必要性がある。次に、自転車による交通量が増大してくることを踏まえ、主要幹線道路等は、自転車専用レーンを整備し、そして、自転車交通法等の法規を整え、自転車使用者には、講習会などを義務づけて、安全な自転車社会の形成に努めなければならない。
そうなってくると困るのが、自動車業界や公共交通機関であろう。販売台数や利用者が落ち込むことが見込まれる。しかしながら、自転車社会構築は、我々の未来に対する安全保障に関わる画期的な対策であり、その費用対効果は計り知れないだろう。我々は関係業界と幅広く議論を交わし、将来の交通手段はいかにあるべきかを真剣に見つめ直さなければならない時代に入ったのだ。
(797字)
08.03.11:30
H14論述SS
H14小論文SS
(著者は2002年の設定)
(論点)近年環境保護の名のもとに、遠隔地の昆虫を飼育し、身近な環境に放出することが英雄的に報じられているが、一方では、これらが生態系に及ぼす負の影響が危惧されている。
このような状況を鑑みて、環境と調和した地球作りをするためには、今後我々人類はどうするべきか。論ぜよ(800字以内)。
我々は、科学技術を用いた文明生活の発展により、自然界の頂点に君臨する種となったが、自然界を調律する神ではない。我々にできることはせいぜい、科学的に検証された事象に則り、それを履修する形で自然を修復することである。従って、十分な検証なしで、各人が環境保護の名のもとに思うがままの行動を取っては、それが善意であるにもかかわらず、壊滅的な打撃を自然界に与えかねないというリスクを我々は認識していなければならないのである。
自然界は大変複雑なメカニズムによって成り立っている。これを構成する要素は多岐におよび、プランクトンから大気循環までの広大なスケールである。特に、昆虫などは食物連鎖の基幹を成すものであり、これが一度崩れてしまうと、その上位に位置する獣類や鳥類などの食性が変化し、悪ければ絶滅の危機に瀕してしまう。そして、結果的にその地域の固有の生態系の崩壊を招く。一度壊れた生態系は、その機能を取り戻すまで、多くの期間を要するが、悪ければ二度と戻らないものもある。
我々は有史以来、自然環境から食物や資源などの多くのもの摂取し続けてきた。その過程で我々は多くの生態系を破壊し自然を食いつぶしてきた。そしていまや、それらの集積した脅威が地球規模で我々に襲いかかろうとしている。
我が国は、古来より『和』を重んじる文化が数多く存在していた。我々が学ぶべきはここにあると思う。自然を征服するのではなく、それと調和する。すなわち、我々が摂取した分を、自然界に還元させるシステムを構築するべきなのである。また、我々が人為的に生み出した化学物質などは、我々人間界のみで循環させ、決して自然界に放出しない確固たる枠組みが必要である。当然、温室効果ガスもそれの最たる対象である。
我々が成すべきことは、自然環境の調和を乱す元凶を世界が一致して指摘し、それを最小限に抑える枠組み作りと弛みない努力であると信ずる。
08.01.17:30
H13論述SS
H13小論文SS
(著者は2001年の設定)
(題:骨子)地球温暖化防止の観点から、電力市場自由化の是非を論ぜよ(800字以内)。
電力は、出力調整の制御や変換効率が高く、一般的に扱いやすいエネルギーとして認識されている。地球温暖化の原因とされる温室効果ガスは、言うまでもなく火力(石油・石炭・天然ガス)発電から最も多く排出される。
電力自由化は、自由競争により火力発電などの温暖化に寄与する発電法に対してその高効率化や、あるいは再生可能エネルギーを利用した代替発電法にリプレイスされていくインセンティブが高まることが期待される。もちろん、電力価格も競争により低下することも見込まれる。しかしながら、この両者は必ずしも健全に進行していくとは限らないと思われる。価格競争で生き残るならば、より安価な発電方法が推奨される。それは、初期投資、運用費用ともに鑑みた場合、現状はやはり火力発電がコストの面で最も優れており、現に最近では石炭火力や天然ガス火力発電では、コジェネレーションシステムを併用して熱効率は60%台に達している。初期投資が高く、費用回収が十分に見込めない再生可能エネルギーや、大出力は得られるが初期投資や運用リスクが高い原子力発電よりは、火力発電が電力会社によって勝ち残る手段として重宝されてしまうかもしれない。
従って、電力自由化に踏み切る際は、様々な角度からその影響を予想し、温室効果ガス排出抑制と電力価格がどのレベルであればイーブンになるかをしっかりと見積もる必要性があろう。また、当然ながら、電力供給の安定性・信頼性を欠いてはならない。
以上のことから電力自由化に踏み切る際は、まず各電力会社が有する各種発電法に対し、温室効果排出ガスの割合に応じて、料金にその偏差を上乗せさせる。次に、再生可能エネルギーなどを運用する零細電力会社に対しては、当該地域の主力電力会社との共同運用を行う、そして各社に対し温室ガス排出抑制度に応じた新たな格付けシステムを適用するようにすれば、競争による暴走を抑制することが可能となると思われる。
(800字)
07.31.23:59
H12論述SS
H12小論文SS
(著者は1999年の設定)
(論点)97、98年度の我が国のCO2排出量は前年比0.4%減少した。97年、98年のCO2排出量の減少を説明する理由を挙げた上で、「2008年から2012年の間で温室効果ガス排出量の平均値を90年度比で6%削減する」という京都議定書の削減目標を達成できるか否かについて私見を述べよ(1200字)。
97、98年度のCO2排出量減少に転じた理由は、アジア通貨危機に代表される不況により、国内総生産がマイナスに転じたことが原因として考えられる。言うまでもなく、CO2排出量は経済活動の規模に比例する。諸先進国がそうであるように、我が国も例外ではない。
二度にわたるオイルショックを経験した我が国は、それを契機に製油依存型の産業構造を抜本的に変革し、天然ガスおよび原子力エネルギー等を積極的に導入しつつ、エネルギー効率化を図ってきた。そして、今や我が国はそれにおいて他国を圧倒するエネルギー効率優良国となった。しかしながら、そんなわが国であっても、CO2排出量が減少ないし平行線を辿ったわけではなかった。産業部門では、確かにエネルギー高効率化の実績により、エネルギー消費量を抑えつつ、生産規模を拡大することができた。すなわち、この部門においてはCO2排出量が平衡ないし減少に転じる実績を示している。しかしながら、国の経済規模は産業のみでなく、それに係る一連の流通、消費も当然含まれる。生産量が拡大したら、当然ながら、流通・消費の市場も拡大する。これらは、産業のように、エネルギー機器の高効率化を改善することによって対処することは困難である。なぜならば、これらはオートメーション化による生産量の拡大ではなく、人間の意志による経済活動の活発化の結果だからである。人間の意志は操作不能であり、それを目論むならば、それはまさにファシズムと言えよう。
アジア通貨危機は、アジア諸国に様々な打撃を与え、消費者の財布のひもは固くなった。当然ながら、それに伴う投資・生産は縮小に転じた。その結果、実質経済成長が負に転じた代わりに、CO2排出量が減少するという功を奏することができたわけではある。しかしながら、この事実は地球温暖化の観点からは歓迎されるものであっても、一般的な資本主義原理からしてみれば喜ばしくないものである。
我々はここで、経済活動と地球温暖化防止という、背反するジレンマに直面せざるを得なくなってしまったのである。では、我々は京都議定書の削減目標達成は無理なのであろうか?
結論から言うと、現状の体制であれば不可能であろう。その数値目標を達成するということは事実上、GDPを6%減少させることと同意だからである。少なくとも、工業立国であり、加工貿易で成り立っている我が国がその目標を達成させるとなると、国力の後退は免れない。しかしながら、我々はCO2排出量削減が経済活動のネックになるという先入観に囚われ過ぎていやしないだろうか?経済活動はそもそもイノベーションなくしては成り立たない。ならば、科学技術立国である我が国は、CO2排出量削減義務はネックではなくむしろ、次世代のイノベーションを促進するための布石を云えるのではなかろうか?従って、大切なことはこの課題をいかにして我々の成長につなげることができるかという我々自身の発想の転換である。